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2013年03月17日

プレイバックポタリング

フロントウィンドウ交換中のフォレの引き取りを頼まれたので、
ついでに、代車のレガシーに鶴号を積んで、たつの市の観光巡りをすることにいしました。
たつの市の観光と言えば、城下町である龍野町がメインです。
龍野町は高校の通学路であったにもかかわらず、不思議な程に記憶が抜け落ちています。
落ちこぼれだったせいか、学校に通う事自体苦痛だったので、町の思い出も忘れようとする意識が働くのかも知れません。
学校での楽しみは、唯一在籍していた美術部で絵を描く事くらい。
暗い高校生活でした。(笑)
通学路で唯一記憶に残っているのは、途中にあった本屋くらい。
クルマやバイク、オーディオなどの雑誌を立ち読みすることと、
『ロードショー』などの、ちょっとエロい外国映画の記事に胸を時めかせていたしょぼい高校生でした。
そんな案配だったので、家と学校の往復以外、このエリアを歩いた記憶すらありません。
関わりが薄かったこともあり、改めてどんな町だったのか、ポタリングで巡って肌で感じようって企画です。


より大きな地図で 龍野町ポタリング を表示

クルマを停めたのはたつの市役所の駐車場。
平日は混むらしいけど、週末は空いています。
道を挟んだ向かいには、新宮町の食品メーカー「ブンセン」の直営ショップがあります。
ブンセンのもろみや海苔つくだ煮には、子供の頃から実にお世話になっています。
関東でみる事は無いですが、ユニークなネーミングや、小学生の絵を蓋にデザインしたり、西日本では割合に知られているそうです。
そこから、龍野橋東詰に向かい、龍野橋を渡って龍野町の観光エリアに向かいます。

機関車が展示してある中川原公園。
道を挟んだ反対側に「DGOICHI」ってカフェレストランがありますが、この機関車はC11形(型じゃないんですね)と呼ばれるモデルのようです。
たぶん中学生の頃、姫新線にSLが走っていた記憶がありますが、この機関車はそれではなくて、九州から来たものらしいです。

龍野橋東詰。
本竜野駅から徒歩で学校に向かう途中、
この橋を渡るあたりから、気分が滅入って行った気がします。(笑)

向かって右側には、GALLERIA(ガレリア)ってカフェがあります。
良くも悪くも、おば様方のコミュニティースペースな雰囲気があります。

橋の途中で振り返ると、ヒガシマル醤油の工場が。
この会社の知名度は全国規模ですね。

橋を渡って、すぐにある銀行の社屋。
郡上八幡なんかでもありますが、いい味出してますね。

薬局だそうで。
シブ過ぎ・・・。

この日は「ひな祭りスタンプラリー」とかで、町内各所に展示されたひな祭りを巡るイベントが行われていました。多くはないけど人出があって、地味に頑張ってるんですね。

ヒガシマルのオフィスがあったなんて、初めて気が付きました。
神戸じゃ珍しくないですけど、ここだと貴重。

これは、酒屋?
えらく年期が入ってます。
毎日この前を歩いていたのに、まったく記憶が…無い。
あ、唯一、気になっていた子の後ろ姿だけは、覚えてるな。(笑)

今思えば、それなりに情緒がある通りだったけど、
高校生の私に、「情緒」なんて単語は思いつかなかった(汗)。

そんな城下町の面影が途切れる辺りで校門が見えてきます。
暗澹たる気持ちがピークに達する地点ですね。(笑)
校門に立つ風紀係の先生のチェックが終わると、あきらめがつきます。
ってか、ここに来るのは何年ぶり、いや何十年ぶりだろう。

学校の裏山に位置する粒坐天照神社。
「いいぼにますあまてらす」って絶対に読めないです。
この地域の地名「揖保」の元にもなったそうで、それなりに由緒ある神社みたいです。

こっそり学校を抜け出して、ここの境内でタバコでもくゆらすくらいに斜に構えた高校生だったら良かったのに…。

「哲学の小径」「童謡の小径」なんて名前の小径を上って行くと国民宿舎「赤とんぼ荘」にで出ます。
竜野ではここ、新宮町では国民宿舎「志んぐ荘」がお決まりの宿泊や宴会場所です。
国民宿舎は、全国的には減少しているそうですが、民間が参入するまでもない地域なので安泰みたいです。

お昼も十分過ぎたので、赤とんぼ荘から市街へ下ったところにある「すくね茶屋」でランチです。

店頭の本日のおすすめメニュー「春のおばんざい」1500也。
女性でも問題なく食べられる量で、私にもちょうどいいくらい。
ご飯はちらし寿司なので、お酒が飲めれば最高なんだけど・・・。

赤とんぼ荘から下ったあたり。
落ち着いた町並みで好ましけど、すみません初めて来ました。(汗)

再び観光エリアに入り、
ヒガシマル醤油第二工場を抜けると観光エリアも終わります。

どこにでもみられる新興住宅地、絶賛販売中!みたいな。

さて、観光エリアとは縁の薄い「新竜野橋」を渡ってプレイバックポタリングも終了。
さて、次に来るのはいつになるか・・・。

投稿者 aw@bitlog : 2013年03月17日 16:35

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コメント

おおっ、ま~ったく自転車に興味はないし、awさんの思い出の地にも・・・なんですが
この一文に激しく反応ですよん

>『ロードショー』などの、ちょっとエロい外国映画の記事に胸を時めかせていたしょぼい高校生でした

ハハハ、そうそう思い出すねぇ、今じゃぁなんてこと無い映画評の小さなモノクロ写真数点だったり
オゲレツ本を買うのは気がひけるけど・・・スクリーンやロードショーなら堂々と見れるし
・・・ソレが今じゃぁ・・・いやいや、そんな気もすたれて・・・ない・・・かも
うんにゃ、ムニャムニャ、さぁ仕事しよっと!!

投稿者 しんさん : 2013年03月18日 08:35

『スクリーン』のほうが、ちょいエロだったかな。
ビニールで大事に包まれた本を買う勇気も無かったので、専ら映画雑誌でしたね。(笑)
(『O譲の物語』のコリンヌ・クレリーの腰は良かったなぁ…)
映画雑誌を友としていたのは、私だけではなかったんですね!

投稿者 aw : 2013年03月18日 08:45

はい!私も・・・スクリーン派だったかな。(^_^ゞ
パンチやPBも創刊されて、我が青春は黎明期?
SF小説が書いてあると思ってSMマガジンも・・・あ、これは同級生から回ってきたものですが。
龍野と聞けば故郷って感じるのですが、実は母の生家しか思い出は無く・・・
5年以上前になるかなガレリアと赤とんぼ荘に行った事を思い出しました。
私も高校時代は美術部、休み時間はほとんど美術室で過ごしていたような・・・
顧問の美術の先生が乗って来ていたプリンス・スカイラインGTB、その1点だけは憧れでした♪

投稿者 路渡カッパ : 2013年03月18日 10:17

『スナイパー』ですね!
カッパさんも隅に置けない!
パンチやPBを見られても問題は無かったですが、あれが他人の目に触れるのは御法度でした(笑)。
私は、カッパさんのガレリア記事を見て、行ったた口です。
美術の先生は変わった人で、唯一気を許せる先生でしたね。
たしかに、先生達のクルマは気になっていました。
平凡なクルマが多い中、稀に少し変わったクルマがあると目立ちました。
かかりつけのお医者さんが乗っていたマツダの初代キャロルは、なぜか記憶に残っています。

投稿者 aw : 2013年03月18日 11:18

良い感じに鄙びてるやん。
大正ロマンっぽい煉瓦もピッタリ。
わざわざ遊びに行くほどのことがない街ほど、昔の姿が残っていて貴重かもしれませんね。

投稿者 Nylaicanai : 2013年03月18日 15:12

そこそこ歴史はあるけど、フルに観光に走れるほどじゃないってとこですね。
住宅の規制もあるので、いい意味で保存されてます。
でも、新しい文化が芽生えないと、活気は出ない気がします。

投稿者 aw : 2013年03月18日 15:38

レトロな雰囲気の街並みって素敵。

タツノも醤油屋さんで有名でしたね。

投稿者 ネエサン : 2013年03月18日 17:49

食品では、醤油と素麺が有名ですね。
小さなメーカーもあるみたいです。
こだわりの醤油などあれば使いたいですね。

投稿者 aw : 2013年03月18日 18:30

懐かしぃ〜〜、高校生の頃「スクリーン」「ロードショー」は毎月どっちか買ってました♪
その頃、リン・フレデリックって女優さんが大好きで、ピーターセラーズと結婚した時はショックでしたよ。。。
個人的にはエロい印象はなかったんですが周りからはチョイエロ的に見られてたのか・・・(汗)
高校卒業したら「スコラ」や「GORO」を堂々と立ち読みしてましたが(大汗)
オイラの高校は工業系と商業系の科があったんですが、生徒数的には女子の割合が多いのに
女子不在の機械科だった私は年を追うごとに哀しくなりました!!部活動も機械系で女子いなかったし。。。
しかし、美術部の部長と親しかったこともあり3年生の1年間は美術部にも在籍してスケッチ旅行と称して
海に行ったりキャンプをしたり楽しかったな〜〜〜♪(遠い目)
あ、機械科の先生達の車はいろいろありましたよ!!
ルーチェロータリークーペ、初代シルビア、ケンメリGTX、ホンダZ、ホンダ1300クーペ、ベレットGT・・・
個性的な車が多かったですね♪

投稿者 KOMEI : 2013年03月20日 05:50

両方は買えなかったですね。
どっちか・・・エロい方を買ったような・・・。
いや、基本は映画好きの心ですよ。
田舎の少年にとって、映画と音楽は、唯一手が届く文化でしたから。

スコラやGOROは、やはり立ち読みで済ませました。
友達の部屋に行って、そういう本を見つけられると、「なんや、このページノリがくっついて開かへんやん」って冷やかされていたものです。(笑)

女子不在の機械科なんて、漫画の世界に出てきそうですね。
でも、野郎ばかりの青春も楽しそう。
美術部は楽しかったですよ。裸婦デッサンなんてーのもあったし。
機械科の先生のクルマは楽しそうですね。
なんたって、機械科だし。
たぶん、こっそり弄ってあったりするんだろうけど、立場上明かせないみたいな。(笑)

投稿者 aw : 2013年03月20日 12:09

追記。
リン・フレデリックってめっちゃ美人ですね。
美人過ぎる故に、主演映画が少ないとは不幸な…。
でも、なんか印象に残りますね。

投稿者 aw : 2013年03月20日 14:17

>女子不在の機械科なんて、漫画の世界に出てきそうですね。
そうなんですよ。なまじ同じ校内に女子がワンサカいるのにモテない男子だけ寄り集まって・・・(汗)
国語や英語の先生は、たしか20代か30前後のわりと美人な先生でしたから、みんな別の意味で
イキイキと授業受けてました♪
美術部で裸婦デッサンなんて羨ましすぎです!!
ウチの高校はもっと田舎ですのでヌードモデルなんてまずいませんから(泣)

リン・フレデリックは美人でしょ♪
ホント主演映画が少なかったんですが、当時日本では人気が割とあったみたいで
スクリーンとかの雑誌のグラビアでよく見ましたよ♪

投稿者 Anonymous : 2013年03月20日 21:48

ああ、なんかビーバップハイスクールみたいな・・・(笑)
そういう男ばっかりの友達関係って、けっこう長く続くような事を言う人も居ますね。

裸婦デッサンは、高校生には衝撃でした。
自分なら恥ずかしくて出来ないポーズを平静にされるモデルさんを見て、「ああ、プロだな」って変に関心したことを思い出します。

リン・フレデリックは、ゴクミと鈴木杏を足して2で割ったような感じですね。
ピーター・セラーズとの結婚のショックは、私が受けた、南沙織と篠山紀信のそれと同じような感じかな。

投稿者 aw : 2013年03月20日 22:57

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