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2006年12月08日

僕、俺、私

bokuorewatashi.jpg

ブログ花盛りな昨今ですが、
皆さんは、どんな一人称で自分を表しているでしょうか。

女性の場合は、殆どが「わたし」、ごく稀に「内証的」あるいは「コミケ系」のブログで「ボク」などが使われているのを見かけることがありますが、
男の場合は、表題の3つを見かけます。
「僕」は、殆どが、高校生未満。
いわゆる「未成年」の場合は、「私」よりも「僕」のほうが多いようです。
小学生辺りでは、「私」で始まる言葉を使われると少々違和感があります。
たぶん、「私」という言葉は、多分に「社会」を意識したものなので、
まだ、社会に出ていないとされる未成年者には、「私」がしっくりこないんでしょう。
高校生あたりなって、微妙に社会と関わるようになると、「私」に切り替わる時間が増えてくるようです。

さて、問題は「俺」です。
「俺」という人称は、他人を自分と同等か下に見ることとされているので、
公の場で使われることはないですが、仲間内など、親しい間柄の間で使われる事が多いようです。
「俺」は、年齢に関係なく使います。
厳密に言うと、使う人と使わない人がいます。
「私」の偏見で言うと、使う人と使わない人のパターンがあるようです。
「俺」を使う人は、「強い人」と「強く見せたい人」の2種類があるようです。
ここでいう「強い」とは、単に体力が勝っていたり、経済的に余裕があるというだけではありません。
そういうもので、自分で「勝ち得た」という自負がある人です。
つまり、何かを成し得たという「自負心」が「俺」に繋がるものと思われます。
「強く見せたい人」の場合、そうありたいという気持ちの裏返しですね。
まだ「成し得て」いない自分を自認するがゆえ、「俺」が似合うレベルに到達したいと願うのだと思います。

「俺派」とは対照的に、「俺」とは無縁の人もいます。
このあたりは、地域や家庭環境の違いがあるかも知れません。
父親などが使っていると子供は自然に使うものです。
その場合、「僕」を使う期間が非常に短かったり、最初から「俺」だったりするのでしょう。
私の生まれた関西の某所では、「俺」に代わる言葉は「ワシ」でした。
ただ、これも時代と共に、「僕」や「俺」が増えてきたように思います。
「僕」や「俺」に共通しているのは、「自己主張」でしょうか。
自分という「個」を主張したいとき、公的な「私」をかなぐり捨てて、私的な「僕」や「俺」になるのではないかと想像します。
ドラマなどで、気弱なサラリーマンは、決して人前で「オレ」とは言いませんが、
一大決心をしたときのつぶやきの中では「オレだって、やるときはやるんだ!」って、つぶやきます。

地域的なことはともかくとして、一般的に、「僕」や「俺」は、Personalな人称で、
「私」はPacificな人称であることは確かでしょう。
にもかかわらず、最近、公的な場で、「俺」や「僕」を使う人を見かけます。
昔なら、「いい大人が・・・」と指摘されたものですけど、最近は結構「いい大人が」フツー使います。
社会に出たら、「私」じゃないとダメ、って教えられた私などは、
なんだか違和感を感じてしまいます。
ブログなどは、公私の部分が非常に曖昧なせいか、まさに「僕、俺、私」が混在しています。
日記形式でいえば、「僕、俺」はありでしょうけど、
そもそも、不特定多数の人の目にさらされるというか、見てもらう事が前提のブログなわけで、
おもいっきりパブリックな場でもあるわけです。
現実社会で言えば、多くの人が通りがかる大通りの掲示板に、自分の書いた文章を貼りだしているわけです。
そこで、パーソナルな人称で語られると、けっこう引いてしまいます。
このブログは、「仲間内」で見ているのね、と判断してしまいます。
そういう風にして、逆に閲覧者をコントロールしているブログもあるでしょう。
でも、時々、文章の内容は、思いっきりパブリックに訴えかける内容にもかかわらず、
出だしが「俺は、・・・」で始まってる文章に出会うことがあります。
その多くは、その人称と同じく、自分の意見の「吐露」に終わっています。
「自己完結型」です。
これではコメントを書く気になれません。
不思議です。
ブログで、しかも、コメント機能が生きた状態であるということは、
閲覧者の何らかのフィードバックを期待しているはずなのでに、
わざわざ、書き込みづらい書き方をしているなんて。
こんな「自己完結型ブログ」を見かける度に、
使われている一人称が気になります。

投稿者 aw@bitlog : 2006年12月08日 08:08

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コメント

ブログを始めた時に、一瞬考えましたね。自分の事をどう言えばいいのか。
世に晒す日記なんて書いた事ないですからね。
普段はもちろん「わたくし」なんて、言ってる訳も無いので。
文章表現は難しいです。ブログが全て教科書みたいな文章ばかりでもつまらないし。

それと、面白い事に。私のブログはご存知のように京都発信ですが、
東京や北海道の方からもコメントを頂きます。
やりとりをしている内に分かるのですが、関西出身の方だったりします。
そういうケースが多いです。私としては標準語で
綴ってるつもりなんですが(チガウカ?)
方言に関してもawさんの鋭い解析力で、テーマにしてみて下さい。

投稿者 路渡カッパ : 2006年12月08日 10:30

私も、時々、普段のしゃべり言葉で書くことがあります、その時々の「空気」を察知して、使い分けているつもりなんですが、なかなか難しいです。

こういうのがとってもうまい普段言葉のブログもあります。
普段の言葉ゆえに、とっても快適なところがあるんですが、
そういったところは、逆に自我を抑えて、お笑いタレントのように、気さくに盛り上げていたりしますね。

方言というのはいいですね。
なんだかその人が本音でしゃべってる感じがして、
身近に感じることがあります。
「鋭い解析力」は微妙ですが、まったりと綴りたいとおもいます。

投稿者 aw : 2006年12月08日 10:45

awさんの面目躍如、な内容ですね
今夜の我が家の話題に供させていただきたいと思います
さて、振り返って自分自身はどうかというと・・・
混在していてよくわかりません
方言をお持ちの方なら確かにエクスキューズできるかも知れませんね
残念ながら私などは、最近の多くの子供と同じく標準語しか
わからない状況で・・ 
というような気がします(江戸弁もなければ、埼玉の土着語もないし・・・)
改めて思い出したことがあります
中学生のころ、友人の父親(鹿児島出)から、
君はどこのなまりもないねといわれましたが、
未熟な私は、当時それが褒め言葉のようにも受け取りました
実際は無機質な印象だったんでしょうねえ
一人称から脱線しましたが、考えるきっかけができました
それでは・・・

投稿者 しんさん : 2006年12月08日 12:38

「地域性」というのはあるかも知れませんね。
地域によって、言葉のとらえ方が違うので、
「俺」というのも、比較的一般的なのかも知れません。
訛りというのは、使われた途端に、その人の人格まで素朴に見えてしまうのは、マジックですね。
詐欺師なんかも使う手なので、油断は禁物なんですが。(^_^;

投稿者 aw : 2006年12月08日 18:40

あまり気にしたことがなかったです。
ぼくの(あれ?)周りではいいオヤジがぼくは、、って皆が言ってますね。
数百人を集める席の壇上でも平気でぼく、、を使う方もいますが違和感を感じないでいます。
気になる方には気になるのでしょう。気をつけなければいけませんね。

投稿者 たまみ : 2006年12月09日 14:25

年代の違いもあるみたいですね。
意外に少し上の人のほうが、「ボク」や「オレ」を多用する気がします。
「巨匠」と呼ばれる人が、「ボクはねえ・・・」ってしゃべるシーンを良く目にします。
ある年齢に達すると、回りは自分よりも若い人ばかりになるので、それほど社会性考えなくて良いのかも知れません。
そういえば、かなりの年配の人が、「ボク」を使うことのほうが、違和感が薄いかも知れません。
でも、「オレ」と言われると、抑圧的な部分を感じます。
逆に、高校生くらいが、「オレ」を使うのはある意味分相応な感じも受けます。
なかなか微妙です。

投稿者 aw : 2006年12月09日 15:57

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