« また上がる・・・とか。 | メイン | 60,000m÷(60×60)s=16.66m/s »

2008年05月26日

思い出のバイク達

ここの所のバイク熱の高まりで、昔乗っていたバイクの事を思い出しました。
今でこそ、カッパ1号、2号の2台の車に乗ってますが、
実は、生涯、バイクオンリーで、車に乗る事はないと思ってました。
そんな“バイク時代”に乗っていたバイク達です。

最初に買ったのがこのバイク。
スズキ、ハスラーTS50です。
確か、大学に入ってすぐだったか。
中型免許を取る為の練習用に買いました。
高校の頃、ミニトレやらTY50、TL50などといった原付のブームが来たけれど、
「三無い運動」のおかげで、免許すら取れず。
大学に入ってようやく自分のバイクが持てた嬉しさは格別だったと思います。
たしか、6.7馬力だったか。
当時の原チャリは、RZ250やγ250などの影響を受けて、馬力競争真っただ中。
今の4スト原チャリの倍以上の馬力出てましたから、回せばそこそこ速かったです。
オフ車なんかは車体もなかなか立派。
大学がある関西を中心に結構走り回ってましたが、
すでに、車に移行していた幼なじみには、
良くこんなので帰省するなぁ、って呆れられたものです。

で、バイクの運転にも慣れた頃、試験場で中型免許をとりました。
要するに、教習所じゃなくて、「一発試験」ってやつ。
担当の教官に従ってコースを走る、いわゆる実地試験なんですが、
運悪い事に、担当になったのは、その試験場でも一番厳しい教官。
どれくらい厳しいかって、まわりの人から同情を買うくらいです。(汗)
初回は、しばらく走って、クランクから出る角でごろんと横になり、あえなく撃沈。
しばらくしてから、二度目の試験。
問題の担当は、・・・またあの鬼教官。
ほとほと運が悪いです。
もう、この時点で「諦めモード」。
だから、吹っ切れちゃって、もう全然リラックスムード。
そしたら、肩の力抜けちゃって、するすると最後の一本橋を渡ってしまいました。
ダメな場合は、途中で「もどれ」って言われるので、
内心「え〜、いいんですか?まだ続けちゃって」なんて気持。
で、バイクを降りたところで、例の鬼教官おじさんが、おいでおいで。
しかも、普段の仏頂面とは違って、ニコニコしてるのが余計にコワイ。
私は、どうせ何かイチャモンつけられるんやろな、って思っていたら。

「練習したやろ?」

私は、はぁ、って中途半端な返事。

「合格や」

そんなラッキーで私のバイクライフが始まりました。
確か、一回の試験料が2600円。
合計、5200円で中型免許頂きましたー!

W00035.jpg

で、中免を取って最初に買ったのが、初の水冷オフロードモデルであった、ヤマハDT125。
なんせ、50ccからの「成り上がり」だったので、いきなり250モデルは自身がなかったし、
この「水冷」っていうのにビビッと来ました。
最初に買ったのがこの白のタイプ。
これは、楽しいバイクでしたね。
車体は軽いし、5000回転くらいからビーーーーンって馬力が出てきて、
用もないのに、毎晩走り、週末は林道三昧してました。
ところが、ある日、朝起きてアパートの前に止めたバイクを見に行ったらありません。
「あれ、どこかに停めたっけ?」
なんて頭の中グルグル。
そう、盗まれちゃったんです。
さすが大阪、なんて感心する余裕、もちろん無し。
幸い、盗難保険に入っていたので、免責3万円を払って、今度は青いDT125が愛車となりました。

この時に、たまたま友達の薦めで、ツーリング用に中古で買ったのが、扉の写真にあるヤマハXT250。
DT125は、林道や河川敷を走るのに最高のバイクでしたが、長距離や苦手です。
そこで、ようやく中型のバイクに乗る事になりました。
このバイクは思い出深いバイクでしたね。
ホンダのXLには、パワフルさとオフの走破性でやや劣りましたけど、低いシート高、コンパクトな車体、扱いやすいエンジン特性で、ロードでの走りは冴えてました。
オフでも取り回しの良さで、安心して走れました。
何より、ティアドロップタイプのタンクや塗装が美しかった。
ヤマハらしい、繊細でお洒落なデザインでした。
この辺りのDNAは、トリッカーに引き継がれている感じですね。

DT125は、後輩に売り、XT250は、自分の整備で壊してしまい、
次に買ったのが、カワサキKL250。

このグリーンのやつ。
いわゆる「ライムグリーン」です。
このバイクも個性的で記憶に残っています。
カワサキは、伝統的に、バイク好きの気持をくすぐるマニアックなモデルを出してきました。
KL250も、元を辿れば輸出用の競技モデルを国内向けにディチューンしたものです。
このたりが、ヤマハの繊細さとは対局。
洗練はないけれど、非常にタフで、ポテンシャルの高いモデルとして人気がありました。
このバイクの最後はどうしたっけなぁ。

東京に来てから買ったのは、86年式ホンダのXLR250R。

9_09-w300.jpg

このバイクは、まさに優等生でした。
エンジンは、マイルドな特性ながら、それが林道にはぴったり。
タフで、力強くて、燃費もいい。
サスは柔らかくて疲れません。
もう、もうこれで不満を言っていたら罰が当たるくらい。
逆に、印象が薄かったのは、痘痕もエクボが無かったから?
クルマに乗り始めて、しばらく乗らなくなって、エンジンが掛からなくなり、
ある日、いつもの駐車場から消えていました。
盗まれたのか、愛想尽かして出ていったのか。

実家の納屋で、弟が乗りっぱなしにして放置していたのが、今のXLR250BAJA。
手荒く扱われていたために、修理には、何人もの諭吉さんが出ていかれました。
ま、罪滅ぼしか・・。

ともかく、これらのバイクで、四国以外の日本全国を、テントしょいながらほぼ網羅しました。
四国は、この間カッパ2号で走りましたが、是非、バイクで回りたい地域ですね。
昔は、ただ駆け抜けるだけの旅でしたけど、
もう一度のんびりと日本再発見のバイクの旅などしてみたいものです。

投稿者 aw@bitlog : 2008年05月26日 21:37

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.bit-motors.com/~artworks/mt/mt-tb.cgi/1341

コメント

に、似てる(^^ゞ
わたしはDT50が初めてのマイバイク。
オンロードに比べ、オフロードの方が大柄だった点が気に入りました。
で、中型免許を試験場に飛び込みで取り、オンロードへ。
FZR400の初期型でしたね。
当時ブームだったレーサーレプリカ。
その後、弟のバイクを借りたり、友人のバイクを借りたり。
ホンダのCLUBMANでシングルに感動し、ヤマハのSRXへ。なぜかマルチや2stにも乗っていてスズキのBandit、そしてNSRの88型と、いろんなバイクに乗ったもんです。
同時並行で4輪にも乗ってました。
AE86が初めてのマイカー。
でも、これに乗りながら友人のAW10でミッドシップに目覚め、ワンダーシビックではやっぱりFFは好みになれないと悟りました。

東京に出てきてからは、まずBAJA。
次いで駐車場問題からNAに移り、ゴルフ3のカブリオ、ビークロス、そしてNCに至る次第。

どれもこれも、懐かしいなぁ。

こういうのを思い浮かべると、当時乗れなかったバイクやクルマに乗りたくなってきますね。
刀? やっぱりハンターカブ?

投稿者 Nylaicanai : 2008年05月27日 14:22

社長は色々乗ってますね。
乗り換える人は、移り気だそうです。:-)
でも、一癖ありそうなのばかりですね。
種類も色々で、節操ない?(笑)
全部揃えると、なかなかユニークな乗り物館が出来そうです。

投稿者 aw : 2008年05月27日 14:34

やっぱり似た者同士が集るようで・・・
私もまさに>生涯、バイクオンリーで、車に乗る事はないと思ってました。です。
そのため27歳まで自動車免許は取りにも行かず。。。
終始オフロード車だったんですね。
これだけバイクの名前が出てきてるのに、同じものは乗ってないようです。
http://blog.goo.ne.jp/doc_doppler8181/e/3d370542d1734c51c966b3bcf97acb6d
↑私の二輪遍歴です。ちょっと世代がチガウんだろうか(^_^;ゞ

投稿者 路渡カッパ : 2008年05月27日 22:54

おお、このコレクションはすごい!
美味しいのばかり乗ってますね。(笑)
私のを合わせれば、ピースが埋まるんじゃないですか?
節操の無さは、某N氏の車歴と同じか。(^_^;)
今にして思えば、70〜80年代って、バイクが一番盛り上がっていた時期ですね。
今みたいに「仕掛けで」作る事なくて、
一モデルごとに気合い入ってた気がします。

投稿者 aw : 2008年05月27日 23:22

コメントしてください




保存しますか?

(書式を変更するような一部のHTMLタグを使うことができます)